Craftsman来て見て体験演者
一色 清
湯島天神の参道沿いにある実盛坂の階段を下りたところに湯島アートはある。古くからある一軒家の佇まいで、玄関の引き戸を開けると、全面に金箔を施して煌びやかでありながらも江戸の気風が感じられる襖が目を引いた。 童謡「たなばたさま」にも歌われている金銀砂子。金箔や銀箔を砂のように細かい粉状にしたものを膠を塗った和紙にふりかけるように蒔いて模様を描くことを金銀砂子細工といい、伝統的な日本家屋の襖や屏風などに使われてきた。
湯島アート代表の一色清さんは、古来から継承した金銀砂子細工をはじめとする加飾技法を駆使し、伝統的な工芸品のみならず、現代の暮らしに合わせた新しい作品も生み出している。先代とならび一色さんは、ともに日本伝統工芸士としての認定を受け、襖紙意匠加飾工芸の技術伝承を担っている。
工房に立つ一色清さん
金箔紙で加飾された襖。金箔紙の上に赤漆のような色合いの柄「桜雲」をシルクスクリーンでのせている。
砂子屋という呼び名に込められた職人の意地と誇り
湯島アートは、明治のなかごろに開業した先々代に始まっている。湯島という土地柄、横山大観氏など、東京藝大との交流もあったといい、宮内省に納める和紙の砂子細工も手がけていたという。
「初代である祖父は神田で修行して、和紙や色紙に砂子を蒔く仕事をしていました。初代から親父の代に替わる頃、からかみをメインにする仕事が主流になりました。戦後の復興で、襖などの建具の需要が増えたのです」
からかみとは和紙に模様を摺り出した装飾紙のことで、平安時代に唐から伝来した紋唐紙を和紙に模造したのが始まりとされ、中世以降には襖や屏風などにも貼られるようになった。
「からかみを加飾する商売は、木版で刷るからかみ屋、伊勢型紙を使う更紗屋、金箔を扱う砂子屋の3種類あります。うちは砂子屋だったのですが、親父が印刷もやろうと言い出して、僕は大学で機械工学をやっていたので、シルクスクリーン印刷機を扱うために帰って来たのです」
印刷による量産品を製造しながら、伝統工芸品を創作するという魅力もあって、湯島アートは、多くの優秀な職人が集まった会社であったが、肝心な建具の需要が無くなってきた。
「それで、印刷の部門は全部切り捨てて、伝統工芸だけに絞ったのが、10年ちょっと前。今では、私と家内の2人で、伝統工芸品の創作をしています」という。
一色さんによると、砂子細工は、平安時代の作品にも残っているという。
「平家納経は、古代日本の装飾を凝らした写経ですが、それらを筆頭とした文字を書くための紙をその頃から作っていたのです。いわゆる金銀砂子、刷毛引き、木版といった技法は、もともとは京都で始まったものです」
このように砂子細工は、もともとは京都の流れで、祖父は江戸の流れを汲んだ職人だった。京都は、襖や屏風の大物が多いが、江戸は、扇子とか色紙などの小物が多かったという。
現在では、東京で砂子細工をやっているのは、十軒ないくらいだと一色さん。その技法は、10センチ角くらいの紙状の金箔を仕入れ、それを竹のナイフで切り刻んで四角にしたり、細長くしたりする。それを和紙に散りばめて、紙の色合いと風合い、そしてデザイン全体を整えていく、という作業をやっているのだという。
「金屏風のように全面に金箔を貼るのは箔屋さんの仕事。僕ら砂子屋は、箔を買ってきて、それを飾るための部材作りから始めます。道具も手作りのもので、技も道具も全てをひっくるめての技術と考えています」と一色さん。聞くより見た方が早いと、その技法の一端を見せていただいた。
繊細さを求められる砂子細工の技法
砂子細工は、まずは金箔の準備から始まる。僅かな空気の動きでも、軽い箔は形を崩してしまうので、マスクは必須で、暑い夏でも空調はつけられない。切り出す箔の形によって職人独得の呼び名があって、細長いのが野毛、細くて小さいのは針、長いのを蕎麦と呼ぶ職人もいるという。また、昔から四角いのを石、三角を鱗、丸い形はあられと呼ばれている。髪の毛みたいに細長い野毛を作るのが一番難しいそうだ。もちろん切り残った端材も捨てることはなく、筒に入れて砂子として使う。
金箔屋から購入した本金箔。95%の金に銅と銀を混ぜた合金となっている。手で触ると、酸化して劣化してしまう。
自分で研いだ竹のナイフで、金箔を短冊形に切る。金箔がくっつかないように、鹿革に餡を入れて少し浮かせた台にベビーパウダーを振って、その上で切る。
短冊を作ったらもう一回切って、石(四角形)を作る。
箔を和紙に付ける材料は、膠。布海苔や、こんにゃく糊で付ける場合もあるが、澱粉糊は後々変色が起こるので使わないという。膠はすぐ腐るので扱いが難しく、腐る前にほぼ一回で使い切ってしまわないといけない。本日の膠も一晩漬けて、煮て、濾した状態のものを冷蔵庫で冷やしておいたという。それを温めてゆるくして和紙に塗り、その上に砂子を振る。筒の編み目の細かさは、大中小の3種類程あり、その大きさで砂子の粒の大きさを調整している。
「糊を引いて乾かないうちに、細かいもので1回やって、荒いもので2色やって、抑えでもう1回振るとこうなる」と、瞬く間に黒の和紙に小宇宙のような光の粒が鏤められる様に思わず見とれてしまった。
砂子振り。出来上がった作品は、裏に糊を引いてパネルに貼りあわせて仕上りとなる。
石を置く作業。
新しい作品づくりに意欲的に取り組む
屏風や襖の需要がほとんど無くなってしまった今、一色さんが取り組んでいるのは、インテリアやアートとしての作品づくりだ。新しい作品を創造することは作家としての意欲をかき立てられるが、その分悩みも大きいという。
「教わった事は職人の経験で正確に出来るけれど、じゃあ、石を置くとか、野毛を置くことで、どうやったら人を驚かすことができるのかで苦心しています。それは感性の世界だから、紙の色とか質感で箔を新しく見せることも工夫しなければいけない」と苦労を語る。
その上で一色さんは、室内装飾の作品作りは今後も続けたいとしながらも、制作物を広く解釈して、日々の生活の範疇で使えるものを意識して取り組んでいきたいという。
「より派手にとか、加飾が目立つものとかは考えていないのですが、『なんかやっぱりこれがあると嬉しいよ』と、思ってもらえるものを作りたい。となると、一品ものに近いもの。お客さんの要望を聞いて、対話しながら作っていくのは楽しいですね」という。
それと同時に、新しい技術も開発している。その一つが、ガラスに砂子細工を施す技法で、ガラスに金箔は付かないというのが常識だったが、一色さんは砂子を低温焼き付けすることで克服した。面積の広い金箔は焼き付けるとお餅のように膨らんでしまうが、砂子は粒が小さいのでそうならない。「だから砂子なんです」と力説する。
「いま考えているのは、ガラスの片面だけ漆で止めてしまえば、ガラス越しに箔を見るという状態が作れる。そうすると食器とか花瓶とかになってもうまくいくんじゃないかな」とのこと。ますます楽しみな湯島アートの作品から、今後も目が離せないと思いながら、実盛坂の階段を駆け上り、湯島天神にお参りして帰路に着いた。
一色 清
1953年生文京区生まれ。1975年早稲田大学卒業。1982年 有限会社湯島アート入社 (三代目)。2001年 伝統工芸士認定・東京内装材料協同組合副理事長。2005年 有限会社湯島アート代表取締役就任、文京区伝統工芸会入会。2017年 文京区技能名匠者認定「一色清 加飾紙」。
【受賞歴】
2009 年度東京都地域資源活用イノベーション創出助成事業 チャレンジ大賞 奨励賞 『きらら紙』
2013年度 同チャレンジ大賞 奨励賞 『和紙壁紙 金よごし』
2015年度「東京手仕事」プロジェクト 『香り紋』
2017年度全国伝統的工芸品公募展入選 『からかみ「無彩 野毛具墨紙」』
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