Craftsman来て見て体験演者

三井芳子
根津神社近くの不忍通り沿いに、質らへよく佇む工芸品のショップがある。ここ「クラフト芳房」は、オーナー作家の三井芳子さんの古い仲間である松本クラフトの作家たちの作品を中心に、素朴で味わい深い陶器やガラス等の工芸品が並べられている。店舗の奥でひときわ目を引くのが、大きな手織り機。三井さんは、この工房で、絹やウール、綿で紡がれた自然素材の糸に天然の草木で色を染め、長年手に馴染んだ織機で機を織り続けている。
根津神社近くの不忍通り沿いに、質らへよく佇む工芸品のショップがある。ここ「クラフト芳房」は、オーナー作家の三井芳子さんの古い仲間である松本クラフトの作家たちの作品を中心に、素朴で味わい深い陶器やガラス等の工芸品が並べられている。店舗の奥でひときわ目を引くのが、大きな手織り機。三井さんは、この工房で、絹やウール、綿で紡がれた自然素材の糸に天然の草木で色を染め、長年手に馴染んだ織機で機を織り続けている。
綜絖が8枚ある、三井さんの高機。
優しい自然の素材を生かした
染めと織り
三井さんによると、織機には、いざり機と高機があるという。織り手が地面に腰をおろして、いざるようにして織り進んでゆくのがいざり機で、腰板に腰掛け、踏み木を足で踏んで綜絖(そうこう)を交互に上下させて織るものを高機。三井さんの機は高機で、機織りの産地である八王子の織機屋で誂えたものだそうだ。通常の着尺機はこの三分の二くらいの幅で済むのだそうだが、風通と呼ばれる二重組織の織物をどうしても織りたくて、このタイプの織機にしたそうだ。
「風通は、経糸が二重になるのですが、独得の織り方があって、脚も八本、綜絖も八枚必要でこの大きさになりました」と三井さんはいう。
梅で糸を染めたウールのマフラー。一作品作るのに、染めで三日、機を掛けるのに一日、織りで3〜4日、仕上げに一日くらいはかかる。
風呂敷縫製業を営んでいた根津の実家が等価交換でビルになるので、松本から帰ってくる時に江古田の借り家で機械を買い、織り始めたのが1987年のこと。それまでいた江古田では、松本で修行した紬を織っていた。根津でも初めは紬を織っていたが、すぐに問題に直面することになる。
「当時、紬の着尺を織り始めると、集中して周りの音が一切耳に入らなくなるのです。カウンターの向こうからの「これください」というお客さんの声が全く分からなくなって、それで着尺は無理だと思ったのです」と三井さん。
着尺は、毎日、毎日織っていかなければ、一反約16メートルの生地が安定しない。接客をしながら、十日で一反織るという作業が無理だし、そもそも着物の需要もなくなってきた。そこで、カシミヤのショールやマフラーを織ることが多くなったのだという。そのどれもが、やさしく自然な色合いで、三井さんの手作業による、草木染めで染められている。
「色のオーダーを受ける場合もあるし、自分で染めたものを織っておいて販売する場合もあります。ご注文の色によっては、今の時期では原料が採れないので、染められませんという場合もあります。以前、抹茶色でというご指定があったのですが、『私の抹茶色とお客さんの抹茶色は違いますから、見本で何色か染めます。そこから自分の抹茶色を決めて下さい』というやり方をしました。」
手前のピンクの糸はコチニール。後ろの黄緑色は、刈安。左の薄いベージュの糸は白梅で染めた。
民藝のマインドを受け継いだ
松本での修行時代
高校卒業後すぐに家業に入り、父の仕事の運転手をしていた三井さん。一番初めは、東京で手描きの更紗の染めを習っていたが、絵付けをするための帯を自分で織りたくなって見つけたのが、松本紬の師匠の森島千冴子氏だった。それまで実家を一歩も出たことのない娘だった三井さんは、30歳にして始めて文京区を出た。東京の更紗の先生には、「織りを習ったら更紗には戻れないぞ」と言われて出てきたが、まったくその通りになった。一番年上の三井さんを筆頭にして、その年松本に集まった作家志望の若者達が12人。2〜3人毎に空き家を借りての共同生活で、草木染めと織りに没頭できたという。
「山へ草木を採りに行って、自分で草木染めをして、紬を織る。親に何も言われることもなく、自分のやりたいことだけに没頭できる時間は、楽しくて仕方がなかった。先生が糸を出してくれて、先輩達が染めた糸も山のようにあって何不自由なく使えるのです。先生が図案を考える、縞割と呼ばれる緯糸の設定は驚きの連続で、自分もこんな柄が出せたらと憧れたものです」と、修業時代の高揚した気持ちを語る。
1年で修了した後、2年目、3年目には、松本の繊維試験場での仕事にも携わった。
「生地に草木染めをして、試験をして、そのデータをとる仕事で、毎月1週間友達の家に転がり込んで、仕事をしながら機織りをして、まるまる2年間遊んでいましたね」と笑う。
松本では、陶芸やガラス工芸など、様々な若手作家が集まってきて、食べたり飲んだり、色々な話をして、それが今もなお同士のようなお付き合いが続く松本クラフトのメンバーだという。
緯糸をシャトルで左から右に通す。緯糸はコチニールのピンク、経糸はピンクと白梅のベージュの2色を使っていて、この瞬間は上の綜絖がベージュの経糸で、下の綜絖がピンクの経糸になっている。
通した緯糸は、筬(おさ)を手前に引いて、トントンと叩いて目を詰める。
森羅万象の自然の変化の中に
一様ではない草木染めの面白さがある
三井さんは、「化学染料はパキッとした均一の色に染まるけど、草木の色はそうじゃない。見えているこの色は一色に見えるけど、実はその中にもたくさんの色が発見できる」と、その面白さを語る。
染料の作り方は、例えばバラだったら、鍋に水を入れてそれを煮出して、布で漉し、1回目の染液をとる。次に、漉したバラをまた鍋に入れて、水を入れて煮出して漉したのが2回目の染液となる。同じ事を繰り返して、三つの染液をとって、最後は全部合わせてバラの草木染めの染料が完成する。
「草木って一回目に全部色が出てくるとは限らないのです。ものによっては、二度目、三度目の方が綺麗な色の場合もあるので、一回目の染液は捨てちゃう事もあるのです」
今でこそあまり出向かなくなったが、野山に分け入って、染料になる植物をよく採取したそうだ。取り分け思い入れが強いのは、冬青と書いてソヨゴと読む、葉の緑色からは想像もできない深みのある鈍いピンク色に染まる植物だそうだ。
「松本だと、冬青は榊として神事に使う葉っぱで、一霜が降りた時に採ってきて染めるのです。毎年、上高地の手前の集落で、秋のもう寒い時期に山に入って、それも毎年同じ木を採ってくるのですが、その年その年によって色が違うのです」と三井さんはいう。
堅牢度が高くて使いやすい刈安は、ススキの仲間で、黄色を出すのにちょうど良く、やはり山で採る。もっと黄色に深みを出したいのであれば玉葱も使える。梅は、お正月の飾りの白梅を使ったりすることもあるし、バラは生けたものを終わり頃に乾燥させてとっておく。サボテンにつく介殻虫で、動物性の染料であるコチニールは、買う以外にはなく、鮮やかな赤系の色になり、日本には桃山時代に渡来したといわれている。
草木染めの色の注出は、やはり松本時代に培った繊維試験場での経験が大きく、「雑草も含めて、ものすごい数の植物の試験をやったので、その時の試料あるし、ほとんどの色は頭に入っている」のだそうだ。
染織の手仕事を
次の時代の感性に期待したい
今でこそウールの織物を多く手がけている三井さんであるが、紬への思い入れは決して捨てた訳ではない。紬を織るために染めた糸は、茶箱2杯に、大切にとってある。
「私の先生は、『お金があったら糸を買え』と言っていて、最低ロットの五キロをみんなでお金を出し合って買ったものです。草木染めの染料が入った時に、すぐ染められようにと、糸は常に手元に置いておけという教えだったのです」
実は、紬の経糸は、1260本を同じテンションで巻いて織機に仕掛けなければいけないので、今は自分の手では出来ず、専門の職人に任せなければならない。その問題さえクリアできれば、直ぐにも紬の織りに仕掛かりたいのだいう。
また、三井さんは、不忍通りふれあい館で、木枠の織機を使用した機織りのワークショップを行なっているが、子ども達の感性には目を見張るものがあるという。
「綿、絹、ウールと、いろんな色の糸を置いておくと、子ども達の選ぶ色がすごくいい。親御さんが側にいて、『その色とこの色は合わないよ』なんて口を出しても、『子どもが選ぶのだから』と、好きな色で織ったものを見せると、親も凄いっていう顔になるのです。子どもの色って、全然違う。だから自分も刺激になって、まだまだ織り続けようって思うのです」そういって、三井さんの福のある丸い顔がまたほころんだ。
松本クラフトの工芸品に囲まれて。
カシミヤ100%のショール。バラとコチニールと刈安で染めている。あまりにも細いカシミヤの糸なので、糸商さんから「これで手織りをするのか」と驚かれたという。
カシミヤが入った素材のマフラー。お茶とさわらの木の草木染め。さわらは、風呂桶の素材で、桶屋さんから木っ端をもらって染めた。
裂き織りのポーチ。経糸はコーヒーで染めた綿で、緯糸は着物の古着の生地を4㎜に裂いた絹。ここまで生地を細く裂いて糸にしているのは三井さんならでは。
三井芳子
1950年東京都文京区根津にて、7人兄弟の末っ子として生まれる。根津小学校、第八中学校を経て、商業高校を卒業後は、家業の風呂敷縫製業を手伝って過ごす。1980年、30歳の年に長野県松本にて、紬織作家の森島千冴子氏に師事し、松本紬を習う。帰京後は、江古田市で織りを始める。1987年より、根津の生家の地に「クラフト芳房」を開設し、作家活動を続けながら現在に至る。不忍通りふれあい館にて、染織のワークショップも行なっている。
所在地:文京区根津1-26-5-106問い合わせ先:shikisainao@gmail.com