Craftsman来て見て体験演者

巧みな技と、あくなき探究心で、
ジュエリーの美の世界を創造
三塚 晴司
貴金属装身具制作技能士

三塚 晴司

護国寺の門前町、音羽通りに面したマンションの一室に、貴金属装身具製作技能士の三塚晴司さんの工房がある。その扉を開けて一歩足を踏み入れたとたん、空気は一変する。何十年にも渡って使い込まれ、すっかり三塚さんの手に馴染んだ工具類が所狭しと並べられ、この小さな作業机からは、持つ人の心を魅了してやまない、数々の銘品が生み出されている。


オーダーメイドのオリジナルジュエリーを手作り

文京区伝統工芸会の三塚さんが代表取締役を務める有限会社コンプリートは、ジュエリーを制作している工房である。お客様から持ち込まれた石を使い、お客様の要望を聞いた上でオリジナルのデザインを考案し、細密で高度な金属加工技術を駆使して指輪やブローチ、ネックレス等のオーダーメイド作品を制作するのが三塚さんの仕事。もともと表にはなかなか出てこない職人としての立場ではあったが、インターネットやSNS等の普及で生産者と消費者がダイレクトにつながる社会になってきたため、三塚さんの腕を見込んで全国から石が持ち込まれるようになってきた。お客様が石を持っていない場合には、自らイメージに合ったものを探す場合もあるという。

金、プラチナ、銀などの貴金属を地金にしたジュエリーを作る方法は、型に溶かした地金を流し込んで形を作る、キャスト(鋳造)による方法と、三塚さんのように、地金を叩いたり、削ったり、結合したりなど全てを手作業で行う方法がある。とりわけ三塚さんは、細密なパーツとパーツをつなぎ合わせて変幻自在な造形を施す「よせもの」と呼ばれる伝統的な工法を駆使する第一人者。合金を溶かして地金を接合する「ろう付け」や、石を枠に止める「石留め」の技術を得意とし、2021年には、卓越した技能者(現代の名工)として、厚生労働大臣から表彰を受けている。

 

 

地金を変幻自在に操る職人の技

百聞は一見にしかずと、シルバーリングの制作をその場で見せていただいた。まずは99.99%の純銀に硬くするために少し銅を混ぜたものが地金の材料になる。それをヤスリで削ってバーナーで熱してなますと、あれだけ硬かった地金が軟らかくなる。次にテーパのついた鉄芯棒に、ハンマーで叩きながら巻き付けて輪っかにする。輪の継ぎ目部分は、バーナーで熱して銀ろう材を溶かして結合する。この後、サイズを調整して、幾度となくヤスリで削って、刻印を押し、最後は入念に研磨して仕上げとなる。「本当は、もっと複雑な工程があって、だいぶはしょって作ってます」と言いながらも、最初は金属の粒であったものが、もともと内在されていた価値とも呼べる美しい輝きが、三塚さんの手によって瞬く間に引き出されてゆく様に見とれてしまった。

銀のろう材は、バーナーで熱した時の融点の違いによって、6種類程ある。金のろう材は4種。プラチナに至ってはもっともっと多い。パーツをいくつも組み立てる「よせもの」の場合、融点が高いろうから順に使って何か所もつけていく。その前の段階でつけた接合部を溶かさないためで、順番がうまくいかないと、途中でパーツがずれたりするそうだ。「最初はじっくり、最後はちょっとつける」と、三塚さんはその按配を表現するが、コンマミリ単位の作業の中で、火の色と地金の状態を読みながらの手仕事はまさに熟練の技。ただし、三塚さんはそこまで説明して、「やっぱりあれだね、ろう付けよりも難しいのは、どういうものを作るのかだよね」とつぶやいた。腕は、経験と時間によっていくらでも磨けるが、細密で複雑な輝きを生み出す造形力は、天賦の才と、それを面白がる向上心がものをいう、と。

 


材料の地金

 


地金をヤスリで研く

 

鉄芯棒の丸味に合わせて叩いて輪っかにする

 


ろう付け

 

きさげ(小刀)でヤスリの痕を消す

 

研磨

 

完成

 

天職に出会いそれを面白がって続けてきた

 

大分県で生まれた三塚さんの実家は時計屋だったという。継ぐつもりではあったが、電子化の波に押されて家業は閉店。ボーリング場のレーンの裏側でピンヒッターの設備を組み立てる作業など、あらゆるアルバイトを転々として、最後に辿り着いたのが指輪の空枠を製造する会社。当時23歳の三塚さんの目には、工具類が並んだその作業場の光景が、父親が黙々と時計を修理していた実家の空気感と重なったという。

バイク好きの新人に与えられたのは、オートバイで客先をぐるぐる廻って、仕事を集めてくる役目だった。「普通職人ってさ、同じ仕事をやってる方がやりやすい。プラチナの指輪を覚えると、それをだけをやりたがる」と三塚さん。「注文票を持って帰ると先輩から順に仕事を取っていって、最後には難しい変なものしか残らないわけ。その中には、18金もあるし、プラチナもあるし、いろんな仕事をやらされた。おかげで、いろんなことが出来るようになっちゃった」と笑う。

「この業界の職人は、独立が前提で会社に入ってくる」という。三塚さんは、めきめきと腕を上げて、通常5年以上かかるところを僅か3年で給料が歩合になった。「歩合になったら、自分で工賃も決められて5歩もらえた。5年過ぎた頃からは7歩になって、仕事も自分でとるので、それはもう社内で独立しているようなものだった」という。そして、満を持して、有限会社コンプリートを立ち上げたのが、1990年のことだった。

ジュエリー制作の難しいところを伺うと、「職人十人のうち、一人しか残らない世界。その意味では難しい仕事ではあると思う」との返答。「品物を納品してお金をもらって、また発注が来るかどうか。常にお客さんを満足させられる作品ができるかどうか」だという。「石を最後に留める時に、やっとこがカクッと滑って欠けたりすると、莫大な金額を弁償しなくちゃならない。以前、老舗百貨店から、25カラットのダイヤを任されて、それが10億円。石が大きいから、ツメの長さを伸ばして留めるわけ。担当者が二人来て、じっと待ってるんだよね(笑)」その上で、常に正確に手を動かせるかどうか。それが、職人としての覚悟だという。

そして仕事の魅力を伺うと、「いっぱいあるけどね。綺麗なものが出来ればお金がもらえること。純粋に作るのが面白いこと。人生って長いようで短いじゃない、その間に、自分に何ができるのかって考えたらさ、結局自分が思ったものをやり通すしかない。たとえそれが険しい道でも、じっと我慢して、面白がって続けられるかだよね」と、続けた。
「よく天職っていうじゃない。そういう仕事って、探してもなかなか見つからないんだけど、自分の場合は、最後までやろうと決めたことが見つかった」と三塚さん。「それをずっと続けて来ただけですよ」と、目を細めて最後の言葉を締めくくった。

 

 

三塚 晴司

1951年大分県別府市生。1973年㈱東洋工芸手作り部門入社。1990年同社製作室長を経て、(有)コンプリート設立、代表取締役として現在に至る。その間多くの海外、国内コンテスト作品を制作し入賞。1995年一級貴金属装身具技能士。1997年職業訓練指導員。2002年文京区技能名匠者。2003年東京マイスターに認定。2006年全国技能士連合会会長表彰。2007年全技連マイスター認定。2019年伝統工芸功労者東京都文京区長表彰。2021年卓越した技能者(現代の名工)厚生労働大臣表彰。東京貴金属技能士会会員。文京区伝統工芸会会員。

所在地:文京区音羽2-1-2
問い合わせ先:info@jewelry-complete.co.jp