Craftsman来て見て体験演者
佐々木 正子
本郷の春日通り沿いにあるギャラリーショップ、ジュエリー佐々木。決して広いとはいえない間口から、一歩その世界に足を踏み入れると、そこには長年に亘って彫金作家の第一人者として数々の作品を生み出してきた、佐々木正子さんの美しいジュエリーやアート作品が所狭しと並べられている。佐々木さんの魅惑の世界は、ギャラリーだけでは語れない。その奥にある工房では、超絶技巧を駆使した作品が今もなお生み出され続けている。その技を見た。
60年間に亘る彫金技術の真髄
彫金作家の佐々木さんといえば、日本伝統彫金と欧州装飾彫金の融合を試み、彫金ジュエリーともいえる先駆者の中の一人。2012年に、東京都中小企業振興公社よりチャレンジ大賞の奨励賞を獲得した「福笛」は、安価で身につけられる実用的な縁起物アクセサリーとして、文京区の催事でも常に人気を博してきた。ただし、その材料も年々手に入りにくくなり、現在は商品提供というよりは、作家としての活動を中心に、より大きな作品に取り組んでいきたいという。
「技術の高いものを提案するかたちで、日本ジュエリーデザイナー協会の公募展、企画展に毎年作品を出しています。私のジュエリーは、宝飾でもないし工芸でもない、ちょうどその中間の位置にあります。それを美術的な作品としてみなさんに見ていただきたいのです。あと何年できるかわかりませんが…」と佐々木さんはいう。
金属線をろう付けした立体作品
最も多く使われる金属の接合方法として、ろう材を加熱によって接合面に溶かし込むろう付けがある。ろうは、ろう付けする金属母材を溶かさないように、母材よりも融点を低くしている。銀には銀ろう、金には金ろうを、そしてそれぞれ融点の異なる何種かのろうを使用する。火の扱い、溶け出す温度の見極めなど、繊細な技術が要求されるのだが、このろう付けをきちんと正確にできる作家は、そうそういないのだと佐々木さんはいう。
「企業の人は、面倒くさいのでろう付けをやりたがらない。企業でできないものは、だいたい私の方に回ってくるので、やる人がいないのでやるしかなかったのよ。無理な仕事をいっぱいやらされたので、自ずと得意になりました。結局、私は、ろう付けが好きなのですね」と笑う。
ろう付けの技法を駆使した作品
作ることが大好き、手仕事に魅了された日々
幼い頃ここ本郷に住んでいた佐々木さんは、10歳と、6歳違いの姉がおり、上野の不忍池に出る夜店に行くのが楽しみであったという。「夜店にアクセサリー屋さんが一軒あって、上の姉がよく買って帰ってきた。それが、すごく綺麗で、いつも見とれていました」と幼き頃のことを振り返る。子どもの頃から先生について絵を習い、図画工作は得意中の得意。ちょうど二十歳になる直前に、飯田橋の駅からアクセサリースクールの看板が目にとまった。七宝焼きから始めて直ぐに彫金クラスに移り、瞬く間に天性の才能が開花して、2年半で講師になったという。
28歳になった頃、ミキモトがデザイン制作を依頼していたフランスのペーパーデザイナーに身元引受人になってもらい、フランス留学も経験したという。ただし、実技は何の苦労もなく人一倍うまく出来たが、フランス語の講義が分からず、かなり苦い思いをしたという。「しかたないから、6か月間、ヨーロッパ中を回って、遊んで帰って来たわ」と笑う。
ヨーロッパの美的なエッセンスも身につけて、中野や大塚などの工房でジュエリー制作を重ねながら、彫金教室の講師としても長年に亘って若手の指導をしてきたという。
「ここに来たのは20年前です。もともと50代になったら、自分のお店を持ちたいと思っていました。そんな頃、イギリスのピカデリーサーカスの通りを歩いていたら、とても魅力的な小さなお店を見つけたのです。店主さんは作家で、自分の作ったものだけを置いているというので、これはもう日本にはないなと、自分もこんなお店を作りたい!と思ったのです」
高い技術を要求される緋銅という伝統技法
さて、数々の彫金の技法を駆使する佐々木さんにおいて、その名声を轟かせている技の真髄は緋銅(ひどう)にある。緋銅とは、銅を赤く深みのある緋色に発色させる、日本の伝統技法の一つで、純銅を溶ける寸前まで火を入れて加熱し、ホウ砂水溶液の中で急冷して、銅の色から緋色へと変化させる技法である。実際に店の奥の工房で、その技を見せていただいた。
材料となるのは、銅の地金。糸鋸で文字を挽いて、穴あけ加工を施したその材料を佐々木さんは、バーナーでしばらく加熱していたかと思うと、おもむろに傍らにあった耐熱器の中のホウシャ水に投げ入れた。一瞬何が起こったのかさえ全く分からないほどあっけなく、その瞬間は何の前触れもなく訪れた。そして気がつくと、銅は、緋色に発色していた。900度という熱の尺度のほんの僅かな上下も許されない、究極の目分はなぜ可能となるのか?そんな疑問が、ぐるぐると頭の中で回っている私に、「銅の表面に、『もう、ホウ砂水に入れていいよ』っていう合図が出るんです。だから入れるのですね」と、佐々木さんは微笑みながら言った。これを丁寧に磨くと、もっと綺麗な色が出てくるという。
「ペンダント、ブローチにします。フレームを作って、後ろに金具を付けるために細工して線をつけて、ここにパールを付けたいかな」と、完成に向けての構想を巡らす佐々木さんは、本当に楽しそうだ。
加工した銅の地金
バーナーで加熱する
ホウ砂水溶液に入れて冷却する
緋色に変化した銅を磨く
後日、佐々木さんからメールで送られてきたブローチとして完成した作品の写真
今までもこれからも、彫金一筋の人生
彫金一筋、60年。ジュエリー佐々木では、どんな小さな仕事でも丁寧に取り組むことを大切にしてきた。「他でやらないものをみなさんお持ちになることが多いですね。どんなものでも引き受けてきました。とにかく作ることが好きなので」という。佐々木さんは、今は、工芸的な作品づくりをしたいと思っているそうだ。
彫金の魅力は?と訊くと、「彫金は、いいものを一つ持っていたら、時代の変化、流行がないから、気に入ったものを末永く使えます。修理がききますので、ずっと使ってもらいたいです」とのこと。
対して、彫金の難しいところは、すべての技術ができないと一つの作品も作れないこと。覚えることが多すぎて、根を上げる若手作家も多いと聞く。佐々木さんは、「頭を使ってやるからいいのよ。彫金やっていたら絶対ぼけない」と笑う。
「宝飾は、ある程度の技術を覚えて、それに上乗せしてやっていけばいいけど、彫金は一つひとつの技術がものすごくいっぱいあって、それを全部習得しないといいものはできない」と佐々木さん。ここ、ジュエリー佐々木は、60年間に亘る作品の数々が、その技術の粋を密やかに語りかけてくる、そんな空間になっている。
佐々木 正子
1945年東京都文京区生まれ。60年に渡って彫金アクセサリーを作り、自分の作品だけを扱うショップ&工房の「ジュエリー佐々木」で、作品制作をはじめ、お客様のオーダー、修理、区工芸会催事、展示販売、地域受入授業などを行っている。
1965年より日本アクセサリースクールで彫金を学び、1968年よりYANアクセサルー学院で講師となる。1975年VIVO彫金教室の講師を経て2010年VIVO彫金教室の主宰者になる。
1977年花王石鹸株式会社ピュアブーケフレグランスリッチ花形原型製作。1989年 現代日本芸術協会文部大臣表彰他工芸賞多数。1992年より(有)金研工房にて活動した。2006年文京区技能名匠者。2012年 東京都中小企業振興公社チャレンジ大賞 奨励賞。2014年東京マイスター(東京都優秀技能者)。2017年 東京都功労者 労働精励。
問い合わせ先:http://j-sasaki.ebunkyo.net/index.html