Craftsman来て見て体験演者

根津の町から生まれた 唯一無二の杉山流「細密ペン画」
杉山 浩一
細密ペン画作家

杉山 浩一

賑わしい不忍通りのふれあい館からひとつ中に入ると、そこは昭和の香りが漂う根津の裏路地。そんな町並みにある木造の一軒家が、杉山浩一さんが営むスギヤマアートルームがある。


紙とペンの反発を楽しみながらモノクロの世界を描く

賑わしい不忍通りのふれあい館からひとつ中に入ると、そこは昭和の香りが漂う根津の裏路地。そんな町並みにある木造の一軒家が、杉山浩一さんが営むスギヤマアートルーム。一階はギャラリーショップで、二階はアトリエとなっている。杉山さんが描くペン画は、黒のボールペンのみを使用し、全てフリーハンドで仕上げている。使用する色はブラックのみの為、筆圧による調整をしながら光・影の特徴を表現している。モノクロの世界が、逆に眩いばかりの心象風景を記憶の中に呼び起こさせる杉山さんのペン画は、老若男女を問わず見る人をたちまち虜にしてしまう力を持っている。

杉山さんが、ボールペンで描く細密ペン画は、パイロット社製のハイッテックCのみを使用。色はクロ。「パイロットのクロって、青っぽくなく、赤っぽくなく、どこから見てもクロ。万年筆時代から限りなくクロなんですよ」と、杉山さんは並々ならぬ道具への愛着を語る。また、ペン先が細いのでちょっとした力加減で細くしたり太くしたり加減ができるといい、紙とボールペンを反発させることを楽しみながら描くのだという。

描く題材はというと、もっぱら古き良き時代を思い浮かべられる風景で、それを忘れないために、絵として残しているのだという。色を付けずに、あえてモノクロだけの世界をペン画にして表現するのは、杉山さんが父から受け継いだこだわりだ。

「色を使うよりも、モノクロのイメージからそれを見る人によって想像してもらう。当たり前の世界を当たり前の色を使って表現するよりも、絵の奥深いところまで想像してもらいたいのです」という。

制作で難しいのは、絵の中に輪郭線を出さないようにすること。実際、目に見える世界には輪郭線は存在していない。だから杉山さんの絵にも輪郭線はなく、細い線の密度の強弱による陰影のみで世界が表現されている。

「輪郭を入れるとイラストになっちゃうんで、なるべくそれを出さないようにしています。光と影の陰影をはっきりさせるのが細密ペン画の特徴で、明るいところは光が跳びますよね、だからそこに色が見えていても、あえて線を入れないその加減が大事です」という。

実は、絵を描いている時よりも、構図を決めて描き始める前までがすごく大変。というのは、一年間に描ける絵は、どんなに頑張っても数枚程度。何枚も描けるものでないので、自ずとその題材と構図には神経を使う。素材となる写真は、一つの作品に対して何百枚と撮るのだが、トリミングしてサイズを決めまでに、相当な時間を使って思考を巡らす。ただし、そこまでできると、後は楽しいばかり。

「他の仕事がなければ、ずっと描いています。お店を閉めた5時くらいから始めて、気がつくと2時までとかザラです。寒い冬場はインクが出づらくなるので、ペンを暖めながら描いています」と笑う。

気になる制作期間はというと、他の仕事もやりながらだが、A4でがんばって2週間、A3で3週間〜1か月程度。大きな作品は、何年もかかってやるのだという。

 

カリカリという小気味良い音を立てながら白山神社の紫陽花を描く

 

スピードや角度で、様々な線が描ける。

 

ペンの太さは、0.250.30.40.5の4種類ある。

 

父の技法を受け継ぎつつ自分にしか出来ない世界を拓く

 

師匠である父の故杉山八郎氏も、もともとはエアブラシで描くイラストレーターだった。息子と同様、根津の生まれ育ちで、この愛して止まない町がどんどん変わっていく様を憂いて、自分にしか出来ない技術で作品を残していった。八郎氏の初期の作品は、木造の建物ばかりで、作品を見れば時代の流れもわかるのだという。

「その作品を子どもの頃から見ていたのが僕で、同じように根津に生まれ育っていますから、同級生が住んでいた建物が壊されて、その友達もいなくなったり、そういった寂しさを僕も感じていました」と、昔の思い出を語る。

杉山さん自身は、父の仕事であるグラフィックデザインに憧れて、専門学校を出てデザイン事務所に就職したが、お菓子のパッケージデザインの仕事が、想像と違って地味なことに嫌気がさした。そこで、座ってないで立って働こうと和食の料理人になり、ついには自分の店を持って切り盛りしていたが、父が脳梗塞になったことをきっかけに、2009年に根津に戻ったのだという。

当初は自分も父の仕事の手伝いができないかと、その作品を紹介することから始めたが、人に絵の魅力を伝えるには実際に描いてみないと分からないと、自分でもペンを持つことにした。2010年のことだった。

「最初は、見よう見まねでした。ただし、絵を描く前にアドバイスをうけちゃうと、自分の描きたい方向性と、親父の嗜好が違うと、途中で喧嘩になるんですよ。出来上がったものが自分のやりたかったことと違うとやっぱり納得できなくて、途中から聞かないことにしました」という。

自信がついたのは、何年かして二人展をやった時のこと。父の何十点に対して、たった6点の出展だったが、その半分が売れたという事実で、自分は自分の道でいくという決心がついた。

「父は衝撃的な作品を描く人でしたが、そんな父でも最後は僕のことを何も言わずに認めてくれていました」という。

 

 

自分の人生に足りない部分を埋めるためにペンを取る

 

見る人が細密ペン画の前に立つ時、その人が背負って来た人生のバックグラウンドは様々。何かの拍子でその琴線に触れ、ツボにはまって何十分とその場から離れずに見続ける人がいる。何かを思い出して、そっと涙を流す人さえいる。

「絵を見たお客さんが、感じてくれたイメージと、僕が描いている途中で構想していたイメージがぴったり重なり合った時、『書き上げて良かった、作って良かった』という思いでいっぱいになります。そこに一番魅力を感じるかな」

その思いがあって、次に何を描こうかなというところから始まり、そのイメージに合う写真撮りに行き、カットを選定して、構図を決める。その長い下準備の工程があって、描き始め、やがて完成し、またお客さんに見てもらって、感想を聞き、自分の作風の方向性を確認する。その循環で杉山さんの細密ペン画はできている。

杉山さんは、細密ペン画を生徒に教えている。「絵を描いたことがない人でも、身近な道具だけで描ける世界なので、逆に奥深いんですよ。毛筆に例えると、刷毛の一本一本がこのペン先のようなものなので、まるで写経をしているような気分になるのです」とその魅力を語る。

「僕の中では、完成の7〜8割くらいで、ボールペンを置くんです。気になるところをどんどん入れちゃうと、黒くなってしまう。そのどこで止めるかは、また面白いところ。黒のボールペンだけを使った作風は究極なので、終わりはないけど、行くところまで行ってみたい」と、杉山さんは最後に語った。

杉山 浩一

1963年東京都文京区根津生まれ。根津小、八中、京華商業高校と地元で育ち、1983年東京デザイン専門学校グラフィック科卒業。デザイン事務所勤務、和食の料理人を経て、2010年に「スギヤマ・アートルーム」ネットショップを開設。ペン画作家である父、杉山八郎に師事。以後作品展、TV出演など、師匠と精力的に活動。2014年、杉山八郎逝去。2016年新アトリエを現在の地に開設。以後、毎年こつこつと作品発表を続けている。

所在地:文京区根津2-25-1
問い合わせ先:sugikoubaby@yahoo.co.jp