Craftsman来て見て体験演者

籐の敷物づくりの伝統的な技を活かして
親しみやすい和モダンの工芸品を創作
木内秀樹
籐家具製作

木内秀樹

白山通りと不忍通りが交差する千石界隈。3代にわたって続く木内籐材工業株式会社は裏路地を一歩入った住宅街の一角にある。3代目の木内秀樹さんが制作している東京籐工芸は、ヤシ科の植物である籐を材料として作る東京の伝統工芸品で、地域産業資源に指定されている。


美しく、丈夫で長持ち

孫の代まで使える籐の魅力

 

木内さんは籐を伝統的な技術で加工して籠や椅子を作っている職人である。「私が3代目で、もうすぐ創業100年になります。明治45年生まれの祖父、木内秀が昭和初期に、引き籐という籐の外皮や芯材を細く引いて、紐状に加工した材料を作って販売したのがはじまりです。途中で籐の敷物を作るようになって家業が軌道に乗りました。木内籐材工業株式会社のもともとの本業は、ゴルフ場や温泉施設にある籐の敷物です」という。

 

セガ籐

 

 

 

木内さんは籐工芸の仕事で一番大変なのは材料を作ることだという。籐工芸の素材となる籐(ラタン)は、主に東南アジアに自生している植物で日本では生育していないため、材料は100パーセント輸入している。何十メーターもある丸いラタンの原木がインドネシアのジャングルの奥地にあり、それを日本向けに現地の職人が8メートル位にカットする。それを縦に半分に割き、さらに半分に割いて4分の1の扇形に加工する。20年位前までは商社を通して輸入していたが、日本では籐を扱う業者が年々減り続け、今では年3回現地を訪れて選りすぐりの籐を直に輸入するのだという。

品質の高い籐は、ガラス硬質のような艶のあるもので、古より素材そのものの質感を楽しむ日本人が好んで使用する材である。中国やヨーロッパでは材を染めて製品化するので、艶の有無にこだわることは無い。セガ籐とは籐の皮(外皮)をそのまま使用した天然の籐のことを指すが、木内さんは「当社のセガ籐はインドネシア産の世界で一番いい籐です」と胸を張る。

ところが、籐(ラタン)は一旦収穫すると、その後一人前の蔓になるには8年かかる。棘があるため収穫作業も大変で、特殊な軍手をはめて現場で洗う過酷な労働を要する。そのためジャングルを更地にしてパームを植えて手っ取り早くお金になるプランテーション化が現地では進んでおり、近頃はセガ籐がなかなか手に入らなくなってきているそうだ。

 

籐(ラタン)の原木を手に

 

 

古来より受け継がれてきた

日本の籐工芸

 

日本の籐工芸文化は、古代の奈良〜平安時代に東南アジアから籐素材が伝来し、遣唐使の時代に籐編み技術も中国経由で伝わったと考えられており、寺院や貴族の調度品に使用されてきた。「平安時代の弓も全部籐でできているので、千年以上前からある伝統工芸です」と木内さんは言う。弓以外にも刀槍の柄や筆、笛、尺八など様々なものに使われていた。江戸時代には籐の網代編みの編笠、枕、草履の表などに使われ、明治時代には乳母車や籐椅子が登場し、昭和の初期から、家具類やルームアクセサリーにも用いられてきた。

編み方で最もよく使われる技法が網代(あじろ)編みで、木内籐材工業でも全て手編みで編んでいる。他にも斜目編みといって斜めに編んでいく技法や、縦と横だけの編み目になる四ツ目という技法などがある。「籐あじろの裏面は美濃和紙を張ります。30年に1回くらい和紙を貼り替えるとより長持ちします。籐が茶色になるだけで、孫の代までちゃんと使えます」と木内さんは言いながら、工房の天井に保管してある100年程経っている敷物を指さした。

 

100年程前の敷物。籐の丈夫さには目を見張るものがある。

 

木内さんの少年時代は根っからの野球少年で、レッドサンズに所属していた。当時は20人くらいの職人さんを抱えていたという。敷物を編むのは、1メーター間隔で5人くらい編み子さんが並んで、みんなで一斉に何十メートルと編み進めていく。一時間で70センチ程しか進まない地道な作業だ。27歳で家業に入ったが、バブル崩壊とともにゴルフ場のブームが去って敷物の需要も減り、そこから家具を手がけるようになったという。「敷物は平面なので、編み目の状態が最初から最後まで変わらないのですが、家具の場合はどんどん立体になっていくから達成感があります」と笑う。

正座椅子の網代編み。材料は、籐の背中だけ皮を取る背取りで、皮をとったところだけ着物の染料で黒く染まる。真ん中に溝があるすくいべらごと緯糸を引っ張る。

 

創意工夫で乗り越える

新しいデザイン開発

最近特に力を入れているのが、欲しいと思ったらその場で購入して持って帰れるデザインがおしゃれな小物類。東京手仕事は、2015年に始まった東京都が推進する伝統工芸品支援プロジェクトで、職人による高品質な“東京生まれの手仕事”を国内外に発信・販売・育成していく取り組みで、木内さんは最初の立ち上げの頃から参加していて、デザイナーと組んで新しいデザインを創作している。

大阪・関西万博の公式ライセンス商品でもある籐うちわは、伝統工芸品支援プロジェクトにおいて、東京都知事賞を受賞した。ただし、完成に至るまでには相当苦労したという。竹のうちわと同じ形を籐で作ると撓んで形が保てない。そのため、知恵を絞り、レーザー加工で作った金型を使用する方法に辿り着いた。金型に濡らした籐を入れて成形し、そこに和紙を貼る。籐に和紙を裏打ちする技法を団扇に応用した、日本の伝統技法と最新のテクノロジー、そしてモダンなデザインが融合した傑作の誕生だった。

「伝統技術の伝承は10年続けていても難しいです」と木内さん。「自分が手がけたことがない文様は他の職人に頼むこともあります。自分もまだまだ修行中です」という。

「私もまだ2~30年はやっていくが、後はどうなるか・・・。これから職人はごくわずかになるので、いろんな事が変わるでしょうね」と、籐工芸の未来も憂慮せざるを得ない。

木内さんは「椅子などの家具だと他の籐屋さんも作っていますし、スペースをとるので複数のアイテムを販売するのは難しい状況です。だから、お土産とかプレセントに贈れるようなオリジナルの商品を新しく開発しています。何より手に取って買ってくれたお客様に喜んでいただいた時は、本当にやりがいを感じますね」と語り、創作意欲を高めている様子でした。

 

籐うちわ

 

籐扇子

 

鼓椅子

 

木内籐材工業(株)の工房にて

木内秀樹

東京都伝統工芸士、文京区技能名匠。1974年文京区千石生まれ、千石育ち。籠町小学校、文京十中卒業。米国の専門学校を卒業し、帰国後、日本の会社に就職。27歳で家業に入り、父・木内友秀に師事して現在に至る。
2018年、籐と和紙のうちわは、東京都知事賞を受賞、東京オリンピックの認定商品に選ばれる。同年、東京都伝統工芸士に認定される。2019年文京区技能名工匠に認定される。2020年(RATTAN DIFUER)、2022年(籐扇子)、2023年(TOU KOISU)が東京手仕事プロジェクトにて認定商品に選ばれる。

所在地:文京区千石4-40-24
問い合わせ先:info@kiuchi-tohzai.co.jp