Craftsman来て見て体験演者

既製品にはない、
拘りのあるバッグを届けたい
杉崎 信雄
鞄職人

杉崎 信雄

丸ノ内線茗荷谷駅から拓殖大学の脇を通り抜けた小日向の住宅街に、築60年以上になるという昭和な風情の工房がある。バッグ工房アプトの杉﨑信雄さんは、この道50数年以上になる鞄職人。お客様の注文に応じて、オーダーメイドのバッグを一つひとつ手作りしている。一本から注文を受けてくれる工房は珍しく、杉﨑さんがつくるアプトのホームページを見て、遠方からわざわざ訪れる人も多いという。


アイデアに溢れた

アプトのものづくり

杉﨑さんの工房を訪れて、最初に目に飛び込んできたのが、様々な生地を使った色とりどりの作品だ。

「文京区伝統工芸士会の会員でもあるので、伝統工芸品の素材にも注目しています。大島紬、西陣織、綴織、八丈島の黄八丈などの帯地をバッグに仕立てたり、鹿革に漆で模様をつけた伝統工芸品である印伝を使ったり、革以外にそういう素材も取り入れています」

決まったものを作り続けているというよりは、杉﨑さんの頭の中は常に新しいアイデアであふれているようだ。

「皆さん、軽くて使いやすいものをご希望なので、しっかりした新幹線のカーテン地でバッグを作ったり、ビニールでコーティングしたきれいな模様の和紙を使ったりもしています」

素材に和紙を使ったバッグ

自分で製作する型紙

全ての工程を一人で作る

オーダーメイドのバッグ

杉﨑さんの仕事の特長は、鞄やバッグのオリジナルの注文を受けてから、全て手作りしていること。お客様の要望に応じたデザイン、金具などを揃え、長年に渡って培われた確かな技術によって、必ず満足してもらえる製品に仕上げている。

「注文を受けてから型紙を起こします。高さやマチの幅、広めがいいとかスリムなのがいいとか、皆さんそれぞれ違うので、一つひとつ要望を聞いて作ります。なにしろ一人でやっているので、注文を受けてから23か月ほどお待ちいただければできますよ、というスタイルです。ホームページを見て『こんな工房やっと見つけました』と来られる方や、文京博覧会で出品した作品を見て注文される方もいます」

また、本郷三丁目の「ジュエリー佐々木」さんでも、商品見本を置かせてもらっているそうだ。

 

親子二代にわたって

作り続けてきた工房の歴史

工房の創業は、杉﨑さんが生まれた年、戦後直ぐの昭和25年にさかのぼる。父である先代の杉﨑俊雄氏は、戦前より革製品を取り扱う仕事をしており、復員後バッグの製造を本格的に開始したという。もともとは埼玉県の寄居から湯島の問屋にバッグを納品しに来ていたが、その後、江戸川、湯島と引っ越しをした後、現在の小日向に住まいを構えた。

「父親は、戦前神田でベルトを作る仕事をしていて、その会社の工場が寄居に移転した後、中国に数年出兵していたようです。引き上げてからは寄居で仕事をしていたようで、僕も寄居で生まれ、小学校の頃、昭和34年に小日向に来ました。その頃は、職人さんが5〜6人住み込みで働いていて、父親は福島県の浜通りの出身なので、そこから中学を卒業したばかりの人が毎年来てくれていました」と、振り返る。当時はあぐらをかいて仕事をするのが普通で、職人さんたちが畳の部屋いっぱいに広がって仕事をしていたという。

小さな頃から職人に囲まれて育った杉﨑さんは、高校卒業後に父親について修行を始め、30歳になった頃父親が身体を壊したのがきっかけで本格的に家業を継いだ。

「最初は大変でした。仕事は、父がちゃんと指導はしてくれたのですが、なかなか言われた通りには出来ないんですよ。型紙のとり方とか、縫い加減とかね。昔は、湯島の問屋さんから注文を受けていました。その後、キタムラやハナエモリのブランドものを月に5〜60本受けていた時期もあります。景気の良かった頃は、その注文をこなすのが精一杯で、今のようなオーダー製作はしていなかったのです」

チャレンジから生まれた

梅紋の形をした名品

転機が訪れたのは、2008年のことだった。

「当時、問屋さんからの注文が減ってきたので、なんとかしなくちゃいけないと思って、パソコンでこんなことも出来るのかと、写真を撮ってホームページに載せてみたりしていました。僕の経歴なんか何もないものですから、東京の伝統工芸チャレンジ大賞の公募が新聞に出ていたので、挑戦してみたのです」

そこで奨励賞を受賞したのが、アプトのバッグの代名詞ともなっている、梅の紋様(中陰捻じ梅)をアレンジしたバッグ。そのおしゃれなデザイン性は20年経った今でも色あせるどころか、益々名品としての輝きを放っている。

「チャレンジ大賞のその年のテーマが “花”だったので、その時期梅がいいかなと思ってデザインは自分で考えました。でも、なかなか完成までには時間がかかりました。一度作ってみてもバランスが悪かったり、機能面で改善点が見つかったり、やればやるほど、もっとこうすればいいというのが出てくるので」と苦笑する。

受賞後は、職人としての新しい世界も広がったという。

「革の扱いにかけては自負はありましたが、それだけだと特徴がないなと思いまして、ちょうどチャレンジ大賞で知り合った山下巧さんという黄八丈の作家に素材をお願いしたりね。色はこんな具合がいいと言うと、素晴らしいものを織ってくれますので。綴織は府中の職人さんに頼んでいます。生地を使うと、縦横の柄が合わないと見た目がよろしくないので、革とはまた違った難しさがありますね」と、そのチャレンジがまた楽しくて仕方がない様子だ。

革の裁断は、革専用の包丁で型紙に合わせて切る。切れなくなったら自分で研いで使う

革の厚みを薄くする革漉きという加工。縫いやすくしたり、重なり部分をなめらかに仕上げるために行う。

長年使い込んだ革漉き機。「親父の代からなので、もう60年くらい使っているのかな。壊れた部品なんかは、台東区の鳥越の業者さんに取りに行って、自分で修理しています」

手紐のパーツの革をミシンで縫う

お客様が思い描いた以上の

バッグを手渡す喜び

毎日、9時から6時くらいまで仕事をしているという杉﨑さん。「新しいデザインチャレンジするのは大変ですね」と言いながらも、「次はあれしよう、これしようって考えてやるので仕事は本当に楽しい」と微笑む。自分の手に職をつけたことで、今はそれが仕事となり、お客様に希望されたバッグが作れることが何よりの幸せで、生きがいになっているとのこと。

「皆さん『既製品ではちょっと物足りない』と言うので、お客様自身が『こんなの使いたい』と思っている商品を形にしています。『ここにポケット付けて』とか、『ペットボトル入るようにして』とかね。色や素材は意外と男性の方がこだわる人が多いんですよ」と笑う。もちろん修理も受け付けている。

「チャックが壊れたり、手紐が切れてしまったり。革は使っているうちに色が変わって渋みが出てくるので、持つ喜びも深くなっていきます。箱に入れたままだとカビとかも出てくるので、使い込んでもらった方がいいですね」とアドバイス。人が手に持つ大事な道具であるからこそ、一層の愛情を注いで作り続けたい。杉﨑さんの柔和な目がそう語りかけていた。

商品の検品をする杉﨑さん

大島紬の巾着

東京伝統的工芸品チャレンジ大賞「奨励賞」受賞作品

黄八丈の手提バッグ

杉崎 信雄

バッグ工房 アプト主宰。1950年9月埼玉県生まれ。区立五中、本郷高校を卒業後、家業のバッグ製造業に2代目として後を継ぐ。キタムラやハナエモリのバッグを仕立てる。2008年、経済産業省協賛 第4回東京の伝統工芸チャレンジ大賞で奨励賞を受賞。同年、「文の京技能名匠者」に認定。もともと鉄道マニアの撮り鉄であったため、屋号のアプトは急勾配を登るアプト式鉄道にちなみ、「どんな坂道でも一歩ずつ、着実に登っていく」という、技術と工夫で道を拓く意味が込められている。

所在地:文京区小日向3-8-9
問い合わせ先:https://bagaputobcde.jimdofree.com/